コーヒープレイク会報2 0 1 7 ・8月 登校拒否・不登校問題全国のつどい 参加記
子どもの声つぶやきにヒントがある。
先月26日27日に東京多摩で登校拒否・不登校問題全国のつどいに参加してきました。
今年3 月まで長岡におられたI さんも参加していて、たくさんおしゃべりしてきました。コーヒーブレイクの皆さんによろしくと何度も話されていました。小田原のお菓子のおみやげを預かってきましたから例会で食べましょうね。
不登校1 2 万人、東京では1万人という数値が高止まりのままです。背景原因はどこにあるのか対策を打てないで来ていますが、今年のつどいでは「不登校の子どもの声・つぶやきにヒントがある子どもの声を聴きましょう」というフレーズが繰り返し言われました。
開会行事に子どもたちが家でふともらした「つぶやき」を構成詩、歌、映像で紹介していました。
私は、1日目は「障がいのある子どもの登校拒否不登校」の分科会、2 日目はI さんと一緒に「親、家族の役割家庭づくり」分科会に出ました。
関西から来た学生さんがいました。中3~ 高3 まで不登校。大学入学からは通学していて卒論で「不登校の親の会」をとりあげたので親たちの話が聞きたいからやってきたという男性です。逆に分科会参加者から「あなたのこと話してくれるかしら?」と頼まれて彼はいろいろと話してくれました。
- 休んでいる間、勉強の遅れはあまり心配に出てこなかった。やれるようになった時にやる。それでも十分できるようになる。
- 進路決め。「波に乗らないという」選択だってある。20 歳くらいまでに決めればいいんだから。
- 不登校していた6 年間。父さんは受け入れて信じてくれた。反対に母さんは朝になると「学校、行け」と「行け行けおばさん」になっていた。少し学校に行ったりして動くと今度は「もっとできるんじゃないか」と欲を出す。やめくれ!
- 母に「死にたい」と言うというと「死ぬ気があったら学校へいけ」と無茶苦茶なことをいう。先生に「死にたい」と言うと「あんたより大変な人がいるのに何言ってんだ!」と怒鳴られた。
- 将来の夢なんてない。とりあえずメシ食べさせてくれ。衣食住の安定をさせてくれ。
- 親がどのくらい僕を心配していたのか当時は分からなかった。母は「不登校していたあの頃はつらかった」と言っているが、そうじゃなくて「まんざらでもなかった」と言ってほしい。
- でも、僕が不登校を経験したから、母は変わった。