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142号

コーヒーブレイク会報  2013・10・11 142号   田口

先月のコーヒーブレイク例会の時に、「これ、私の子ども」と新聞記事を紹介していただいた方がいます。新聞(栃木県地方紙)を印刷しましたので是非見てください。彼はずっと家で悶々と過ごしていた子でしたから、びっくりです。人間は必ず変わるのだと私たちに勇気をくれます。 彼は兄さんの手伝いをします。それは兄さんの友だちが車椅子で日本縦断の夢があるのですが病気の為に入院。そこで兄さんは夢を引き継ぎ車いすを沖縄の波照間島まで曳いていくということです。兄さんは弟に一緒に行こうと説明します。あれほど動けなった彼は翌朝から日本縦断の旅に参加をするのです。私が感動した事は、旅の途中に彼の心は何度か揺れ動いてしまうのですが、自分なりに折り合いをつけている事でした。きっと10月の例会の頃は、波照間島に到着しているのでしょうか?例会が楽しみです!!

講演会の案内が来ています。直接申し込みをしてください。

ご無沙汰していました。みなさまお元気ですか。それにしてもいつまでも暑い日が続きます。夏は猛暑と竜巻、この異常気象は地球からの警鐘だと私は思います。便利さを求め、空気と自然を破壊してきたツケでしょうか。子どもや孫その後に続く人類のために、世界の人たちとで手を組んでいかなくてはいけないと思います。私は、夏休みにベトナムへ行きました。成田から5時間くらいでホーチミン(昔の名前はサイゴン)へ到着。まずバイクがひしめきあって走っていてびっくり。空気がひどく汚れていて息苦しかったです。町は賑やかでした。勢いもありました。日本みたいに疲れている空気ではありません。でもインフラ整備はまだとても遅れていました。戦争で破壊しつくされたところからのスタートだから、仕方ないのだと思います。ベトナム戦争の資料館へ行きました。戦争の写真パネルが並んでいるのですが、爆撃されつくされた町、枯れ葉剤が撒かれたジャングル、そこに生まれてきた子どもたちの姿、子どもや女性老人がボロボロになって殺されている様子など、戦争の悲惨さに言葉も出ません。私が高校3年の時に戦争が終結したのですから、つい最近の戦争です。アメリカ兵士の写真もありました。何のうらみもないのに家族を離れ遠い国で殺し合いをしなくてはいけない彼らもまた戦争の犠牲者だと感じました。資料館の来館者は、欧米人が多く意外でした。1枚の写真の前で激しく泣いているアメリカ人のおじいさんがいました。自分の姿があったのでしょうか、知り合いが写っていたのでしょうか。戦争はどちら側の市民にも深い傷を残すだけです。枯れ葉剤のダイオキシンは遺伝子を破壊する化学兵器なので、代々影響が出続けて、。今も障害をもって生まれてくるのは100人に1人の割合だそうです。私は大好きなジャングルや、とても大きなメコン川を見て気持ちがスッキリでした!午後からスコールが降るので、気象オタクの私にはたまりませんでした。民族楽器の「一弦」を聴いたり弾かせてもらったり幸せでした。ベトナム雑貨やピカピカのサンダルも買っちゃいました。でも数日間を家族でそろって時間を過ごせたことが最高でした。

全国母親大会

8月末に全国母親大会があり、 子どもの問題の分科会に参加しました。横湯園子さんが助言者。コーヒーブレイクの3周年記念の講演会に来ていただいた事があります。今横湯さんは、いじめで自殺をした子どもの遺書や残された親の聞き取り、未遂をした子の手記を研究しているそうです。スペインの絵本(いじめ)の翻訳もしていました。さて、日本の子どもたち、小中の不登校11万人、高校中退4万5000人、この数字でも子どものSOSが聞こえてきますね。

  • 分科会で繰り返し出てきたことは、

いじめの恐怖はずっと後まで子どもを苦しめ、30代40代になっても続く。

    • 出産して赤ちゃんがおっぱいを飲むときにお母さんの顔をじっと見るのですが、その目がいじめっ子が自分を見ていた目に見えて、恐怖でたまらないという人。
    • いじめにさらされて、自分を守る方法として「不登校」を選ぶ。不登校の形で生き延びた子どもたちがいます。「休むのは強さの表れ」ととらえましょう。
    • いじめが風景になっていく・・・最も危険信号 
    • 初めは「あの子、やられている。大変だ。かわいそう。ひどい。」と感じるのですが、続いていくと、「あ、まただ」という感覚へ。こうしていじめがだんだん意識されなくなっていくのだそうです。
    • 子どもが死ぬ時はその程度の事で死ぬのかと言われるが、それまでのプロセスの中で力尽きて死んでいく。
    • いじめを発見することが大切。SOSを見る。教師の発見が遅いのはなぜか? 
    • 周囲にいる子どもたちの存在 発言が大きい 「おい、せんこう、きたぞ」「遊んでいるだけですよ」「何もないですよ」「私たちずっとここにいました。何にもありませんでした。」覆い隠されていく。
  • (たくさんの発言が続くのですが、私のメモから紹介します。Aさん  Bさん  Cさん・・・書いてあるのが発言記録です。)  
    • Aさん 小4からいじめにあい、自殺未遂 「死にたい。あいつらを殺したい」⇒その気持ちを国連で話すといい」と教えられて国連へ行った子がいる。
    • Bさん 小学校卒業の後で「実はお子さんは、いじめられていたのです」と先生から言われた。なぜその時に親に言わなかったのか!いじめゼロというけど、いじめる子いじめられる子の心の状態を理解してない?
    • よい子の息切れ型が多くなってきた。
    • 「この子はいい子」と親や教師から評価されている子は、過剰適応をしているのかもしれません。本音は嫌なんだけど、やらなきゃと思うと一生懸命にやってしまったり、周囲の期待にこたえようとしたり。それがまた、失敗しないでできてしまう。喜ぶ親の顔が見えるともっと頑張ろうとして、ますます「この子はいい子」になっていきます。しかし仲間の中では「お前はいい子過ぎてうざいんだよ」といじめられていることも。大人から見て「よい子。できる子。」で安心してはいけません。「嫌」「NO」と言えるのが大切ですね。
    • しかし「よい子、できる子」はNOが言えない。疲れて学校を休むような事があると「学校を休むなんて自分が許せない」と自分を責めていく。罪悪感でいっぱいです。では周りの大人はどうしたらいいのでしょうか。「夜うなされて、苦しそうだったよ、何かあったの?」「休んだら顔色がよくなったね」と伝えるのはどうでしょうか。子ども自身が休んだ事をポジティブに評価できるように伝える、休んだ事をお母さんは悪い事をしたと思っていないんだと思わせることが大事です。
    • Dさん 中学受験で私立へ行ったけれど、中1の6月から不登校に。塾などの勉強は嫌がっている様子がなかったから、本人が私立を希望していると思っていたが、本人の想いと私の想いは別だった。子どもは「この中学の友達とは心が開けない」と話している。通学時間が長いので朝が早いのも大変で、朝、少しぐずぐずしていると遅刻になってしまう。遅れて学校に入るのは嫌なようで、子どもは「遅刻になるのなら休んだほうがいいかな・・・」と言っている。 地元の学校に戻るかどうか、中学の先生と相談している。
    • Eさん 私は昔、私立高校の運動部に推薦で入学した。運動部の顧問の体罰が怖くて行けなくなった。部活の人たちが「インターハイで優勝しようね」と言い合っているのも自分とのズレを感じた。自分が休んだ事に対して、父と母が喧嘩したり、よく怒鳴りあっていた。怖くて布団の中に潜っていた。どうして他の子は出来るのに、自分は他の子のように出来ないのか、なんてダメな自分なんだろうかと悩んでいた。だから夜起きて昼は寝ていた。 お母さんはそんな自分をそっとしてくれた。感謝している。(このEさんは、中学生のお母さん)
  • 学校の体質(競争、体罰)にあわない子がいて、苦しい毎日であること。
    • Fさん  家では元気だけど、外に出ると人と話ができない子。周囲の目は「親が甘えさせるから・・・」。そういう人にいろいろと説明をしてきたけれど、不登校の子を理解してもらうのは困難だった。と言うか無理。
    • Gさん  普通に行かせているお母さんに不登校をわかってもらおうとすると、難しくて自分が苦しくなってしまうので、今はあきらめている。
    • Hさん 地域に高校中退の子多くなっている。
    • Iさん 昼夜逆転の生活を始めたころから、いじめの事をポツリポツリと話してくれるようになった。生活はパソコンとゲームとお笑い。「ゲームは心の浮輪。沈んでしまうのを助けてくれるというけど、あまりにも・・・」
  • 「フツー(普通)」って何?
    • 「フツー」には地域差があること。

 

  • 3人寄れば文殊の知恵。
    • 親の会や子育て懇談会など、誰かとつながることに問題を切り開く糸口がある。
    • 子どもが問題を起こすことは、いけない事ではない。